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昨年の全国保育合同研究集会 保育士の専門性提案文

2014年3月 2日 10:00

28 保育の仕事と保育士の専門性
身近ないのちと指導性      京都女子大学 非常勤講師  小泉昭男
保育の仕事とは何か。私の未熟な保育の経験と今の仕事を通して考えたと事を提案に返させて頂きたいと思います。
私の仕事は造園業で、各個人邸のお庭の庭造りから、管理作業などをしています。また、保育園の園庭づくりなどにも、微力ながら関わらせて頂いています。
園庭づくりをする中で、私は、基本園庭は身近な生きものが来るように仕掛けを作り、また五感をとぎすます空間 遊びほうける空間作りを目指してします。(昨年は兵庫合研にて安全で豊かな園舎・保育環境作りで園庭づくりの提案をさせて頂きました)
そのような空間を作ると、必ず身近な生きものがやってきて、子どもの好奇心に火をつけます。さてここで問題なのがこの好奇心をどうするかです。
 京都女子大学で保育環境の講義を非常勤で受け持たせていただいているのですが、学生に春の雑草といわれる草花を毎回講義の前に写真で見せる様にしています、名前すら知らない子どもがほとんどです。大学内にある草花にも興味がないようで、観たことがないといってきます。決して観たことがないということはないはずで、そこには興味・関心がないということなのでしょう。また保育園に呼ばれて園庭の樹木 草花の名前や遊び方を伝える事があるのですが、毎日必ず観ている樹木・草本などを知らないのです。若い先生は、子どもの頃に生きものと出会った経験が少なく、生きものの事をよく知らない事が多くあります。園庭に大型遊具が設置され、子どもはそれらで遊んでいるのですが私は大型遊具などでは好奇心 探求心は生まれないと考えています。一見遊んでいるようにも見えるけれど遊具で遊ばされていうだけという考えです。砂場などは可逆的な要素を持っていますから、遊びを作り出すことが出来ます。それにもまして遊びをふくらせるのは、身近な植物を含めた生きものだと考えています。問われるのが保育士の指導性です。学校教育と大きく違うのは科目で分かれていないということです。「学習」でないということです。先生の中には子どもは未熟だから教えないとだめだと考えておられる方もいます。言葉がけが多くなり、子どもに考える時間を作らせないこともあります。園庭で遊んでいる子どもに食事の時間なので入るように促します、子どもは遊びに夢中で入ろうとしません。すると保育士は「あっ ○○ちゃんのご飯たべちゃうぞー」と言ったりすることが観られます。これは指導でもなく強制?です。子どもに考える時間はありません。生活リズムでそのような働きかけがある中で、身近な生きものを見つけて時に、どのような言葉がけをするでしょうか。未熟な保育士だと、子どもがケムシを持って来たとき、「気持ち悪いから捨てておいで」「触ったらあかん」というでしょう。そのような言葉がけでは子ども興味・関心は育ちません。また生きものの事を知る保育士は「それは、マイマイガの幼虫だから」「それはヒトリガっていうのよ」なんて自慢します。名前を教えるのが大事ではなく、子どもに寄り添い、「名前がわからないから調べてみよう」と伝えて、保育士がどの図鑑で調べればいいかを知っていることが重要です。図鑑はたくさんありますが、どの項目を調べるかを知らないと時間ばかりが過ぎ去り、子どもの興味・関心が持続出来なくなります。ケムシや芋虫を調べるときは、副足の数で、蝶なのか蜂なのかがわかります。最低それぐらいの知識であとはその項目を調べれば名前がわかります。そこでその項目を子どもに読んであげればいいだけです。興味のある子は次の生きものを探しに行くか、その虫を飼育するか考えます。飼育しなくて元の場所に返すだけでも大事なことです。
学校の教師と大きく違うのは、子どもの興味 関心をどれだけ引き出せるかです。子どもは答えを求めますが答えを言えばそれまでです。名前を覚えることではないですが、自然観察会などをしたときに、「この草は何ですか」と参加者から言われます。名前を伝えると、そのときはわかった気になるのですが、しばらくして同じ花を見つけて「これは何ですか?」と聞かれます、「さっき伝えましたやんか」言うのですが、覚えていませんというのです。まさに「聞くことは忘れることなり」です。そこで私は、「この花揉んでみてください、何かにおいます」といいます、観て 匂いをかいで、「何かにおいますよね」というと「そういえば青臭い」「なんかキュウリに似ている」と言う答えが返ってくると、「正解、キュリグサといいます」と伝えます、五感に働きかけて伝えると名前を覚えることが出来ます。
 身近な生きもののおもしろさ 不思議さを保育士はほんの少しだけ知っておく必要があります。自らが学ばないと子どもに自然のおもしろさは伝えられません。科学の芽生えは身近な生きものの不思議から