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宝ヶ池の森の今・未来を考える

2013年1月16日 16:18

宝ヶ池の森シンポジウムが13日行われた。DSCN8229.JPG
6つの話題提供があり、300人以上の参加者で大盛況だった。大学関係者・環境NPO・学生・地域の方・他府県のかたも多く見られた・また松ヶ崎学区の方も大勢参加されていて、感心の高さに驚いた、私はプレイパークのアシスタントをしている関係で寄せて頂いた。話題提供の中身は宝ヶ池周辺の歴史、移り変わり現状としてのソヨゴ林そしてどこでも問題になっている、ナラガレ 松枯れ 鹿の食害についての報告がされていた。どれも興味深いものだったが、提案の中に深泥が池の昔の写真があった。
この写真を見ると山の尾根沿いには松が生えていて、はげ山も見える、左側の手前ががたぶんチンコ山だと思う。この写真は1950年代ということでこのころから山に手が入らなくなったといわれている。里山をこの状態に戻すには、人がどれだけ山と関わる生活をしないと出来ない、経済優先ではとても出来ない、どうすればいいのか、また、この状態がいいのか、悪いのかそれも本当のところは解らないのです。
 森林は人の手が入らなければ極相林に変わります。これはある意味仕方がないことです。そのような状態になると森は暗くなり生物の多様性は少なくなります。生物の多様性は大事です。種の多様性・生態系の多様性・遺伝子の多様性といわれています。しかし、武田邦彦氏は「生物の多様性のウソ」という著書で、生物が多様化することはおかしい、絶滅こそ進化。人類はホモサピエンスの一種類しか今は生きていません。ネアンデルタール人は絶滅しました。それが何故起こったのかは解りませんが絶滅したおかげでホモ・サピエンスは拡大しています。また進化はトライアンドエラーで進化するとされています。環境や生態にあわないものは滅びて強いものが残るというのです。
  人 が生物の絶滅に関わる事も問題だと言われますが、人は自然の一員であるとも言われています。撹乱は自然のなかで起こることです。山が土砂崩れで流れたり、地震で土地が流されたり。でも人も土地改良という撹乱をしてきました。これも一つの撹乱ととらえるなら、人も自然に関わっているのです。ともいわれます。
 果たして今の自然をそのままの状態がいいのか それとも人為的に小さな撹乱して生物の多様性を求めるのがいいのか、これからの大きな課題として私は考え行こうと思います。
 追伸
二酸化炭素による地球温暖化のウソという本もあります。これはIPCCのデーターが間違って(創られた)いたと言われるものです。今の色々なことは、果たして何が正しいのか何が間違っているのか私には解りません。そういえば原子力発電は環境に優しい電力ですといっていた様な気がする。でも今の状況を見るとはたしてそうなのか疑問だ。そういえばこんな事もいっていた「原子力発電は「発電時」には二酸化炭素は出しません」その通りだ、爆発して壊れた時の事は言ってなかったなあ。